静岡いちご狩りなら山内屋【久能山石垣いちご狩り・直販】

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いちごの歴史

Strawberry’s history

いちごの歴史

久能山の「石垣いちご」をご存知ですか?

ここ、静岡市久能地区では日本で唯一、特殊ないちご狩りを楽しむ事ができます。
山麓から駿河湾までわずか300メートルほどしかない急な斜面に、ブロックを積み上げ垣根を作り、そこにイチゴを定植して栽培するという特殊な栽培方法でつくられた「石垣いちご」です。
その歴史はなんと100年以上!
 
久能山麓に降り注ぐ雨水は沢となり、海に流れていきます。地下からポンプで水を汲み上げる必要がなく、落差による自然の圧力を使い水やりをするという、大変貴重なスタイルが現在まで受け継がれています。(石垣栽培農園すべてがこの限りではありません)

石垣いちごの栽培はとってもエコ

日本国内トップクラスの日照時間の恩恵を受け、化石燃料を一切使用していません。石の垣根には太陽が燦燦と降り注ぎ、自然の岩盤浴効果が発揮されます。そこへビニールを被せれば、天然温室の完成です。
自然の恩恵をそのままいただける農法は地球にやさしい分、人の手による作業が多く必要です。
ビニールハウス内の温度や湿度の調節も、風を通す隙間の広さで調節しており、その作業は1日に何度も調節する日もあります。
自然の恩恵を受ける作業は、人の手と人の感覚によって行う事が多く、収穫ももちろん手作業です。運搬だって優しく優しく・・・。

静岡いちごの歴史と「章姫」の誕生

静岡いちごが全国で有名になったのは昭和10年以降のことで、昭和5~6年頃は“福羽”という品種が導入され、普及していました。そして、静岡いちごは昭和10~15年頃に全盛期を迎えていた石垣いちごによって、全国にその名が知れ渡りました。さらに、昭和20年半ばには静岡県下に栽培が広がり、昭和29年、東京市場における静岡いちごの占有率は89%を占めていました。昭和35年には“堀田ワンダー”という品種を導入。昭和41年3月には久能山下で観光客向けに石垣いちご園を解放。
 
これが、いちご狩りのはじまりです。平成3年に、今もなお静岡いちごを代表するご当地品種ブランドの“章姫”(あきひめ)が誕生しました。
今も昔も、静岡のいちごは多くの人に親しまれ、愛されてきたのです───

山内屋はいちごに
こだわり続けて100年以上

山内屋が大正時代から四代にわたり守ってきた石垣いちごの栽培は、
「太陽と石」「地形と風土」の力によって培われ、
およそ120年にわたり地域で継承されている特殊農法です。

自然の力を最大限に活かした促成栽培手法は、いちごが日本で栽培される様になってから現在に至るまで継承されています。

また、山内屋が受け継ぐ石垣へは、久能山麓の「沢の水」が潅水されています。山から海への急な高低差を利用した潅水は、地域農家との協力により現在も受け継がれています。

四代目 山内 里美

先代たちの努力によって築かれた、
自然の力を最大限利用するいちごの栽培は、
不思議と他の地域では再現する事ができないのだそうです。

それから、その栽培すべてを女性達だけで行なっているのも
山内屋の特徴のひとつ。
力仕事や大工仕事もなんのその。
キラキラ輝く海辺の畑から、今日も元気な笑い声が聞こえてきます。

暖かな風土と、変わらぬ自然の力、先代たちの思いが詰まった
「久能山石垣いちご」を、
どうぞ大切な方と一緒にお召し上がりください。

四代目 山内 里美

栽培すべてを女性達だけ

Gallery

久能山石垣いちごの歴史ギャラリー

  • 傾斜に太陽の光を浴びて暖かさを保つ農法は、今も昔も変わりません
  • 石垣が、玉石からブロックに進化を遂げています

※出典 静岡県立中央図書館所蔵

Gallery

久能山石垣いちごの定植

かつては石垣いちごの栽培を玉石を使用していました。
しかし石垣の拡大による玉石の不足と、定植の際に毎年玉石を積み替える作業が負担が大きく、この対策としてブロックを用いるようになりました。
海面からの放射熱を受けた石垣の輻射熱で保温効果を高め、果実の熟期を早める石垣栽培ですが、
傾斜地栽培のため元肥の施用は石垣を積み替えする必要があり、追肥も株ごとに丁寧に施さねばなりません。
多くの手間暇と愛情を掛けて育てていることは今も昔も変わりありません。

Ichigo song

久能石垣いちごの歌

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※平⽇(⽉~⾦)は畑作業中の為、電話に出られない場合がございます。
※いちご狩りの時期 は1~5⽉(⼟・⽇・祝)です。